出雲大社も遷宮の年ですって。
- 2013/04/15
- 23:56
先日、伊勢神宮が20年に一度の大遷宮と書きましたが、出雲大社も60年に一度の遷宮の年に当たっています。
よかったら参拝してみてはいかがでしょう。
出雲大社がらみで、今日は大国主とスサノオのお話です。
出雲大社のご祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)で、後の神仏習合で大黒様に当てられています。
数ある神社の中でも、この出雲大社の大国主命は一風変わった祀られ方をしており、参拝者に対してそっぽを向いた形で鎮座されています。
そしてその大国主のそばで見張るように御客座五神と呼ばれる日本創世記からいらっしゃる、えらーい神様がたが5柱、参拝者の方を向いて鎮座されています。
参拝の仕方も他の神社と違い二礼”四”拍手一礼。
普通は二礼二拍手一礼ですよね。
大注連縄も通常の締め方と反対に左側が締め始めです。
明治維新による近代社格制度で唯一大社を名乗ることを許されるという待遇をうけてます。
この神社、一体何者なのでしょう?
その謎解きの前に、まず『記紀』での大国主とスサノオの記述を軽く紹介します。
スサノオは、『記紀』ではイザナギ・イザナミの子どもであり、アマテラス(天皇家の先祖)の兄弟として書かれています。
しかし一般の『記紀』の解釈としては、スサノオ一族は国つ神とよばれ、もともと日本に住み支配していた一族。ようは原住民でした。そしてスサノオはその古代出雲を統治していた王さまです。
一方アマテラス一族は天つ神と呼ばれ、日本に海の外からやってきて支配していった一族という位置づけです。
スサノオの息子、大国主(注・日本書紀では息子ですが、古事記では6代離れた子孫となっています。)の『国譲り』の章では、国つ神である大国主が天孫(アマテラスの孫)であるニニギノミコトにけっこうあっさりと国をゆずります。
さて本当にそんなに素直に国を譲ったのでしょうか?
この辺りがこの当時の『記紀』編集者の思惑です。
天つ神(天皇の先祖)をこの『記紀』で正当化するのが目的です。
昔からみんなに愛されているヒーローの国つ神も私たちに従ったんだよ、というプロパガンダですね。
スサノオはスーパーヒーローだけど、アマテラスの弟であり、アマテラスに従う存在だよと。
大国主もこの国を治めていた偉大な方だけど、すぐ国を譲ってくれたよと。
その当時はまだ天皇家もまだ豪族上がりでその地位を確立しておらず、中国のような歴史書を編纂することにより、自らを正当化しようと考えました。
またこれが先進国の一員になるためのステップだったとも言えます。
ところで、初めに書いた出雲大社の拝殿の配置を思い出してください。
横を向いた大国主に見張りの神様がごまんとついているのは、『国譲り』に恨みを抱いている祭神を何とか抑えるための配置ではないかと解釈する意見が多くあります。なぜ横を向いているのかは、いろいろ意見がありますが、参拝者に直接拝ませたくないためとか、本殿の後ろに控えたスサノオにお尻を向けないためとか、実はその背後に控えるスサノオの魂を見張るのが本来の目的とか…。
17世紀までは、実際にスサノオが出雲大社(当時は杵築大社)のご祭神だったのですからあながちその説もウソとは言い切れません。
出雲大社は、「死」を連想させるお社です。
スサノオも大国主も根の堅州国(ねのかたすくに、死の国)に行ってしまい、近くに黄泉の国への入り口と言われる坂もあります。
二礼四拍手の”四”も死を連想させます。
しめ縄も反対向きです。
近代でも天皇家が出雲を一目置き、障りモノに触れるように大事に扱うのは、やはり『国譲り』、国つ神がそんなにあっさり認めたわけじゃないからではないでしょうか。いや、ものすごい怨まれてると思っているからこそ、この待遇なのでしょう。
一応「出雲大社紫野教会」の反論もありましたので、リンク載せておきますね。
http://www.izumo-murasakino.jp/yomimono-004.html
意見は広く聞かなければね。参考まで。
最初に出雲大社をオススメしちゃいましたが、霊感の強い人は、結構気分が悪くなるようです。
お気をつけください。
では、本日はここまで。
神話ブログのランキングに参加しています。
よかったらポチしてくださいね
↓↓↓
[http://history.blogmura.com/his_mythology/ にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ(文字をクリック)]
よかったら参拝してみてはいかがでしょう。
出雲大社がらみで、今日は大国主とスサノオのお話です。
出雲大社のご祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)で、後の神仏習合で大黒様に当てられています。
数ある神社の中でも、この出雲大社の大国主命は一風変わった祀られ方をしており、参拝者に対してそっぽを向いた形で鎮座されています。
そしてその大国主のそばで見張るように御客座五神と呼ばれる日本創世記からいらっしゃる、えらーい神様がたが5柱、参拝者の方を向いて鎮座されています。
参拝の仕方も他の神社と違い二礼”四”拍手一礼。
普通は二礼二拍手一礼ですよね。
大注連縄も通常の締め方と反対に左側が締め始めです。
明治維新による近代社格制度で唯一大社を名乗ることを許されるという待遇をうけてます。
この神社、一体何者なのでしょう?
その謎解きの前に、まず『記紀』での大国主とスサノオの記述を軽く紹介します。
スサノオは、『記紀』ではイザナギ・イザナミの子どもであり、アマテラス(天皇家の先祖)の兄弟として書かれています。
しかし一般の『記紀』の解釈としては、スサノオ一族は国つ神とよばれ、もともと日本に住み支配していた一族。ようは原住民でした。そしてスサノオはその古代出雲を統治していた王さまです。
一方アマテラス一族は天つ神と呼ばれ、日本に海の外からやってきて支配していった一族という位置づけです。
スサノオの息子、大国主(注・日本書紀では息子ですが、古事記では6代離れた子孫となっています。)の『国譲り』の章では、国つ神である大国主が天孫(アマテラスの孫)であるニニギノミコトにけっこうあっさりと国をゆずります。
さて本当にそんなに素直に国を譲ったのでしょうか?
この辺りがこの当時の『記紀』編集者の思惑です。
天つ神(天皇の先祖)をこの『記紀』で正当化するのが目的です。
昔からみんなに愛されているヒーローの国つ神も私たちに従ったんだよ、というプロパガンダですね。
スサノオはスーパーヒーローだけど、アマテラスの弟であり、アマテラスに従う存在だよと。
大国主もこの国を治めていた偉大な方だけど、すぐ国を譲ってくれたよと。
その当時はまだ天皇家もまだ豪族上がりでその地位を確立しておらず、中国のような歴史書を編纂することにより、自らを正当化しようと考えました。
またこれが先進国の一員になるためのステップだったとも言えます。
ところで、初めに書いた出雲大社の拝殿の配置を思い出してください。
横を向いた大国主に見張りの神様がごまんとついているのは、『国譲り』に恨みを抱いている祭神を何とか抑えるための配置ではないかと解釈する意見が多くあります。なぜ横を向いているのかは、いろいろ意見がありますが、参拝者に直接拝ませたくないためとか、本殿の後ろに控えたスサノオにお尻を向けないためとか、実はその背後に控えるスサノオの魂を見張るのが本来の目的とか…。
17世紀までは、実際にスサノオが出雲大社(当時は杵築大社)のご祭神だったのですからあながちその説もウソとは言い切れません。
出雲大社は、「死」を連想させるお社です。
スサノオも大国主も根の堅州国(ねのかたすくに、死の国)に行ってしまい、近くに黄泉の国への入り口と言われる坂もあります。
二礼四拍手の”四”も死を連想させます。
しめ縄も反対向きです。
近代でも天皇家が出雲を一目置き、障りモノに触れるように大事に扱うのは、やはり『国譲り』、国つ神がそんなにあっさり認めたわけじゃないからではないでしょうか。いや、ものすごい怨まれてると思っているからこそ、この待遇なのでしょう。
一応「出雲大社紫野教会」の反論もありましたので、リンク載せておきますね。
http://www.izumo-murasakino.jp/yomimono-004.html
意見は広く聞かなければね。参考まで。
最初に出雲大社をオススメしちゃいましたが、霊感の強い人は、結構気分が悪くなるようです。
お気をつけください。
では、本日はここまで。
神話ブログのランキングに参加しています。
よかったらポチしてくださいね
↓↓↓
[http://history.blogmura.com/his_mythology/ にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ(文字をクリック)]