角の生えた神様、ツヌガアラシト
- 2013/01/14
- 16:06
今日は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)という、頭に角の生えた一風変わった神様に関わるお話です。
日本書紀、垂仁天皇の条にその話はあります。
崇神天皇の御世。
額に角のある人物が、越の国の笱飯の浦(福井県の敦賀)につきました。
ツヌガアラシトは角がある人という意味で
敦賀(つるが)の由来は角がある人が来たから敦賀(ツヌガ→つるが)という地名になったとか。
現在敦賀の駅前には、ちゃんとこのツヌガアラシトの像が建っており、一度は伺いたい場所の一つです
。
ツヌガアラシトいわく、
「私は大加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)、またの名は于斯岐阿利叱智干岐(うし
きありしちかんき)という」
この難しい言い方のほうは、きっと古朝鮮語でしょう。
日本語はまだこの時点では当て字ですが、当時の発音を表そうとするので、中国語では分からない(中
日本語はまだこの時点では当て字ですが、当時の発音を表そうとするので、中国語では分からない(中
国語は表意文字ですから)、当時の発音の一端を知ることが出来、古代アジアを調べる人たちにとっても
大変興味ぶかい資料となります。
さて、この王子さま、日本をあちこち渡り歩いたすえ天皇に仕えていたようです。
いざ国に帰るという段になり、垂仁天皇から
いざ国に帰るという段になり、垂仁天皇から
「お前の本国の名を改めなさい。御間城(みまき)天皇(アラシトが会えなかった前の天皇、崇神天皇の
こと)の名をとって、みまなという国にしなさい」と言われました。
任那(みまな)の名前の由来はここにあるようです。
そして日本書記では、次に天日槍(あめのひぼこ)の話に入りますが、
実はこのアメノヒボコ、
上記のツヌガアラシトと同じではないかと言われています!
古事記と日本書紀において、このようなほぼ同じ説話が乗っています。
朝鮮からやってきた王子さまで、女の子を追いかけてきてやってきた。
大筋はこんなとこです。
朝鮮からやってきた王子さまで、女の子を追いかけてきてやってきた。
大筋はこんなとこです。
が、ニュアンスこそ違え、ほぼ同じとしか思えない話なのに、記紀で人の名前が違う。
その名前が古事記ではアメノヒボコ
日本書紀ではツヌガアラシトで書かれているのです。
そしてアメノヒボコが持ってきたという神宝からみてみると、また新たな人物が同一神ではないかと疑われてきます。
日本書紀ではこのような記述があります。
アメノヒボコは新羅の国の王子で、七つの神宝を持ってやってきた。
七つの神宝とは、羽太の玉、足高の玉、鵜鹿鹿(うかか)の赤石の玉、出石の小刀、出石の鉾、日鏡、
熊の神籬(ひもろぎ)である。
古事記では八種類の宝をアメノヒボコが持ってきています。
珠が2つ、浪振比礼(ひれ)、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の八種。
そして『先代旧事本紀』において、ニギハヤヒが十種の神宝(とくさのかんだから)という、アメノヒボコとほ
ぼ同じ宝を授かるという記述があります。
沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、 八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、
死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
微妙にネーミングは違いますが、大体玉、ヒレ、剣、鏡とアイテムが似ていることが分かります。
ここからニギハヤヒをアメノヒボコ、ツヌガアラシトと同一神とする意見もあり、一緒だとすると、ニ
死返玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
微妙にネーミングは違いますが、大体玉、ヒレ、剣、鏡とアイテムが似ていることが分かります。
ここからニギハヤヒをアメノヒボコ、ツヌガアラシトと同一神とする意見もあり、一緒だとすると、ニ
ギハヤヒの人物像が一層広がり、また興味をそそられます。
いったい、ニギハヤヒはいくつの名前を持っているのでしょう。
いったい、ニギハヤヒはいくつの名前を持っているのでしょう。
ちなみに現在その神宝は出石神社にあります。
見ることはできませんが、こちらもお参りしたいリスト入りですね。